賢者の島 練習帳

迷えるサラリーマンの思うがままを書いたブログ

これまでの半生と反省 〜大学編〜

これまでの人生を振り返ってみると、

世間から見ればとんでもなく

ろくでなしの人生を送ってきた。

 

遡ること18年前、

高校を卒業して大学に現役合格。

第一志望ではなかったが、

親父は浪人を許さず

第3志望の大学に行くこととなった。

故郷の群馬から一人暮らしをすることになり

親父とも馬が合わなかったので

一人暮らしは羽根を伸ばすに十分だった。

 

親父は勉強を強制するような人では

なかったが、

社会で役立つ人間になれと

口うるさかった。

すぐ怒鳴るし、人の話や希望は聞かない

頑固親父。

衝突しまくった。

 

そんな親父と離れてせいせいしつつも

結局は親の脛かじりのどうしようもない

小僧だった俺。

 

せっかく入った大学も

最初の1ヶ月ぐらいは

真面目に1限から授業に参加していたが、

ゴールデンウィーク明けから

五月病になったのか授業に行くのが億劫になり

サボりがちになった。

 

仲良くなった友達ともよくサボり

次第に学校へ行かなくなってしまった。

授業も必修科目に限ってつまらなく

やる気が完全に失せていた。

一般教養の授業の方が全然面白く

参加率も良かった。

 

文学部だったが、

文学なんて1ミリも興味がなく、

読みもしなかった。

学部の選択を誤ったと思ったが、

学部や学科を変えようとはいっとき

思ったものの行動はせず

のんびりと過ごしていた。

 

それでも年間で30単位ぐらいは

取得できていたので、

日本の大学はなんて楽勝なんだと

思ってしまった。

 

それから2年生、3年生と

生活費の足しにと、

バイトを掛け持ちして

バイトに明け暮れ学校の授業には

ほぼ行かなくなってしまった。

 

バイトは飯も食えるし、

つまらない授業に出なくてもいい。

同じような学生もたくさんいて

刺激にもなった。

いろいろ学ぶことも多かった。

 

そんなこんなでバイト代も稼ぎ、

2年生の冬休みには

念願の初海外旅行も行くことができた。

 

行ったのはフランス。

パリとリヨンに行ったが、

世界文化の中心であるパリのスケールの

デカさには驚かされた。

 

まずなんといってもルーブル美術館

ガラスのピラミッドから入るのだが、

土偶みたいな粘土像のコレクションから

始まり、サモトラスのニケ像(NIKEの語源)や

モナリザメデューズ号の筏など

傑作ばかりが展示されているが、

何せめちゃくちゃ広い!

駆け足で回りまくった。

 

あれは3日はないとじっくり堪能できない。

 

今度行くときはたっぷり時間をとりたい。

 

他にもヴェルサイユ宮殿を回ったり、

パリ20区のユースホステル

さんざん酒を飲んで

スペイン人の女の子といちゃついたり

楽しみまくった。

 

この話はまたの機会に詳しくしたいが、

そんな初海外に味を占め、

帰国後もますますバイトに明け暮れた。

 

そして深夜のバイトをはじめ

生活リズムの崩壊で授業はほぼ出なくなった。

 

それでも不思議と

必修は適度に単位を落としつつも

単位は取れていたのだが、

生活リズムは狂いまくり、

やがて、体がおかしくなり

深夜のバイトをやめることになった。

 

それからは大学の授業に

きっちり参加することとして

とにかく出席重視。

真面目ぶった。

この時に友達も増えた。

 

一年生で参加表明した教職課程も

4年目で本格参加した関係で、

卒業は4年できっちり出来たものの

教育実習や介護実習はできなかったので、

一年余分に聴講生として

参加せざるを得なくなった。

 

こうしてあっけなく

新卒の切符は捨てられた。

 

まともな大学生活は送っていなかったが、

そんな俺でも今こうして生きている。

 

人生捨てたものではない。

 

では今日はこの辺で。バーイ!