賢者の島 練習帳

迷えるサラリーマンの思うがままを書いたブログ

これまでの半生と反省 〜就活?編〜

今、インフルエンサーとして

影響力のあるマナブさんを

Twitter個人事業主用アカウントで

フォローしたらフォロワーが

10倍になった。

 

元の数が1桁で、

特に手入れもしてなかったのだが

増えたことには心底驚いている。

 

素直に嬉しい。

 

そんなマナブさんも

地道にブログを続けられたことは

尊敬しかない。

何事も努力が必要だ。

 

その姿勢を見習いつつ

前置きはこのあたりにして

私の半生とそれによる反省を

これから人生の決断をされる方々の

一つの指標になればと思い

書いてみることにした。

 

先日は大学時代の生活を振り返ってみたが、

やはりまともな学生ではなかった。

今日はそれ以上のダメさが露呈されるで

あろうが、気持ちが分からんわけでもない

という風に思ってもらえるとありがたい。

 

私は、昨日の記事通り、

教職課程を卒業までにマスターできず、

捨てることもできず、

最後までやりとげ資格は取ろうと思い

深夜のバイトを辞めてから

学業に遅ればせながら取り組んだ。

 

学業に専念したのは3年生の秋から。

しかしそのころからはじめても

教職課程を卒業までに完了するには

3年生春から1年後に控える

教育実習と介護実習の予約や準備が

必要なのであった。

 

そのことを知らなかったが、

クソ親父からは4年で卒業しろと

言われていたし、

卒業と同時に教員免許取れないやん

となり、どうしようかと迷ったが、

学業をやり切ると決めたし、

教職課程は最初にやると決めたから

最後までやらなくてはと

思ってしまった。

 

周りの同級生は既にリクルートスーツを

着はじめて就活モードだったが、

俺はどうしても就職したくないという

気持ちもあり、そのモードに乗ることも

できなかったというのもあった。

 

嫌いなクソ親父は

家族のために遅くまで働き、

通勤も遠かったので家族と顔は合わさない

ことも多かった。

そのくせ土日になると

亭主関白で俺が何かやればすぐ怒るし、

説教だってしやがる。

もちろん俺自身悪い部分もあっただろうが、

年柄年中嫌味やキレられたりしたら

うんざりする。

そんな働くばかりの親父が嫌いだったことと、

 

その次は、

大学2年から3年、いっ時は前述の深夜に

やっていたファミレスのバイトをやって

感じたのが、正社員の辛さ。

飲食系は激務で、バイトが休めば

代わりに入ったり、不規則なシフト。

エリアマネージャーからの指導という名の叱責。

店長の社長に対する愚痴。

バイトへの雑な指導。

そんなのを目の当たりにしたら

正社員として就職するのが、

嫌になった。

 

というわけ。

 

だからモラトリアム的に

教職課程へ進んだことで

新卒の切符をあっさり捨てることになった。

 

なので、4年目にして

はじめてまともな大学生活を謳歌し、

教職に必要な手続きと単位習得をした。

課題なども多く卒論もあったため

忙しかったが、とても充実していた。

 

今でもあの頃に戻りたいと思う時もある。

 

自業自得ではあるのだが、

新卒採用という一度しか得られない

大事なチャンスを

いとも簡単に逃してしまったが

大学卒業したら親からの支援も

なくなるので、

さすがにバイトをしないとまずいとなり

知り合いの建設会社で

バイトをすることになった。

 

ここからの話は

社会人編で語っていこう。

 

今日はこの辺で。