賢者の島 練習帳

迷えるサラリーマンの思うがままを書いたブログ

これまでの半生と反省 〜社会人前置き編 前編〜

前回は就活?編だったが、

結局新卒では就職しなかったので

世間ではまともとされる

正社員になるまでの路線を記す。

 

大卒で早速レールから脱線した俺。

知り合いから誘われて入った

建設会社のバイト。

 

何の取り柄も経験もなかったので、

日給8,000円からスタート。

毎月の給料日は25日払いで

休日となった場合は休日明け払い

という条件だった。

 

全然良くない条件だったが、

あまり働く気もなかったので

何も考えず受け入れた。

 

この会社自体は

個人や企業のリフォームや改装を

請け負っていたので、

俺の仕事内容は

・建築資材の運搬

・作業で発生した廃棄物の回収、運搬

・建築現場の解体作業

・建築現場の清掃

・現場監督、職人の作業補助

・資材倉庫の整理

だった。

 

悪くいえば新米の使いっ走りだったが、

解体を行うことで、

家の構造について目で見ることが

できたし、工具についても知ることができた。

また職人もいろいろな人がいて

話を聞くことができた。

 

また用途や使用場所で使う木材が

異なることや各木材の硬さなどがあることも

教えてもらい勉強になったことは

たくさんあったが、

この会社にはデメリットの方が多かった。

 

まずは汚れ仕事。

廃棄物として出せない

数ヶ月、数年放置された

腐った缶詰や

建築現場のトイレの小が入ったポリタンク。

 

これを誰も手をつけなかったが

やらなければならず仕方なくやった。

 

どれも悪臭が漂いひどいものだったが、

顔にマスク、手にはゴム手、

作業着の上にエプロンまでして、

なんとかやり遂げた。

 

これはその後の就職にも書くネタとなるくらい

汚れ仕事もやる泥臭さだった。

当たり前だが、こういうものは放置しない方がいい。

 

そしてなにより堪えたのが

給料遅配!

 

何せ日給8000円でそのほかは何もない上にだ!

生活はめちゃくちゃ苦しくて、

給料日が待ち遠しかった夏の給料日。

 

会社指定の銀行に口座も作らされて

給料日の口座残高を見たら

なんと

増えていないっ!?

 

そっこう現場から会社の事務所に電話したら

ちょっと待ってくれ!となり

確かその時は3日後ぐらいに

振り込まれていたが、

生活に不安が一気に押し寄せ、

遅配が続くようなら別の仕事だ

と決めざるを得なかった。

 

結局その後も給料遅配は続いたので

もう来ませんと会社に告げ

去ることにした。

 

最後の給料日には

会社の社長から直々に電話があり

いくら振り込んでほしいと言われ

最低限家賃と光熱費は欲しいといって

すぐ振り込んでもらったが、

零細企業の社長も資金繰りが苦しかったのだと

考えると何もいえなかった。

 

でも生活は第一だったので、

金の切れ目は縁の切れ目となり

去るしかなかった。

 

結局この会社はその後7年ぐらいは

持ちこたえたようだが、破産した。

 

知り合いから紹介された経緯などについては

別の機会に記そうと思うが、

自分にとってメリットがあるかは

よく考えておかなくてはいけない。

 

この会社にいる間に

教育実習と介護実習を無事修了して

教員免許の課程はほぼ終わったので、

教員免許状を取得するのみとなった。

 

教育実習は、

英語の授業を担当したが、

プリントを作成したり、日誌を書いたり

かなり忙しかったが、

いろいろな生徒と触れ合って、

休み時間遊んだり、

他の実習生と情報交換ができたり有意義だった。

 

実習生同士で公開授業をやる前なんかは

控室で遅くまで残りアイディアを出しあったり

したこともいま思えば懐かしい。

 

介護実習は2箇所行って

・老人ホーム

養護学校

だった。

 

老人ホームは、介護士さんやヘルパーさんが

やるような重労働はなかったが、

食事補助や食堂への付き添い、

ホールでの出し物みたいなことをやった。

 

養護学校では、

授業の見学や水泳をやった気がする。

介護実習は消化試合みたいな感じで

あんまりやる気がなかったからか

内容をあまり覚えていない。

 

実習系という重たいやつだけが

卒業後に残り全課程を修了できた。

 

にもかかわらず、

教員にはならなかったのはなぜなのか?

 

やっぱり教員の世界は良くも悪くも

変わり者が多かったことや

上から目線の教師が多かったこともあるし、

教員の世界以外にも興味あることが

たくさんあったので、

そっちが優先になったことがある。

 

採用試験も受けたが、悉く落ちたことも

響いた。

 

教職課程を修了して、

建設会社のバイトも辞めたところで、

すぐ生活の糧として選んだのが

携帯電話の販売員だった。

 

ここからの話は次回にしよう。

 

ではまた。